2015/05/20

お久しぶりです

すっかり滞っていた更新ですが、久々に。

今日は仕事が休みでした。
天気も良かったので、公園でQTをすることにしました。

おともはもちろん、文語訳聖書。
日差しは強め。
木の影になった草の上で聖書を広げました。
そよぐ風が気持ち良かったです。

読んだ箇所は士師記11章。
正直、「これはどうなんだろう・・・」と困ってしまう箇所でした。
後で注解書を読んだら、何となく分かったようなまだ分かんないような(笑)
そんなこともあります。

ここ数カ月の間、個人の生活も教会生活にも様々な変化があり、嬉しかったり楽しかったり、一方で悲しいこともありました。悩むこともあります。

どのような意味合いにせよ、今までにないような変化が起こりつつあることは確かです。
でもきっと良いことが待ってるはず。

新しい波の向こうに、神さまがどんな世界を見せてくれるか。
期待して歩んでいきます。

「それは、こう書かれているとおりです。『見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。』」
― ローマ書 9章33節


2014/08/18

珍しく続いたので

飽きっぽい私にしては珍しく継続。
ギターの練習を始めてから3ヶ月が経ちました。
簡単なコードならそこそこ弾けるようになって、自分で演奏ができるって楽しいなと感じています。
今まではカホンのリズムだけだったので、新鮮な心地です。

その時、その時の自分の気持ちにぴったりな歌詞の賛美を歌うと元気が出ます。



「One Voice」


2014/08/09

同情する神

最近いろいろありました。
どちらかと言うと、つらいことです。
実のところ今もつらいです。

だけどその中で、私はあまり気づいていなかった神さまの一面を見ることができました。

ある問題があって、でもその原因は自分にありました。
頭では、変わらなくちゃいけない、改めなきゃいけないと分かっているのに、
心はどうしても納得してくれません。
理性と感情が真逆の方向を向いているのです。

神さまにしてみれば、私のことを裁いて罰しても良かったはずです。
私が悪いのだから、一方的に責めても私は何の文句も言えません。
神さまからのキツイ一撃をくらってもおかしくない状況でした。

それなのに、どういうわけか神さまはそうはせず、非常にやんわり優しく諭してくれました。
そして同情を示してくれました。
(先日「正直人生」をテーマに、教会キャンプに行ってきました。神さまに自分の気持ちのすべてを、ありのまま打ち明けることを学びました。私も自分の気持ちをぶつけたら、神さまからの応答が早くて嬉しかったです)。

もちろん罪がそのままでいいはずがありません。
罪は罪なのです(キリスト教では刑法上の罪だけではなく、心の中で犯す罪も“罪”としてカウントされます)。
でも神さまはそんな私を一方的に裁くことはせず、「そういうことはしないでくれないか、友よ」と言ってくれたのです。

どうもこれまで、私は神さまをずっと遠くに見ていたようが気がします。
全知全能、遍在の神。
創造主、裁き主。
今いまし、昔います聖なる方。
そうした力と栄光を表すいくつもの肩書きを持った、絶対的存在としてのイメージを強く持っていました。

だけどそれだけではないんだと、身をもって体験できました。


このつらさはまだ続くかもしれないけれど。
神さまが「友よ」と言ってくれるから。
もう少し歩いてみようと思います。


「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」―― ヘブル4章15節

「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」―― ヨハネ15章14節


「I Will Run To You」