2014/05/24

正直者が馬鹿を見る?(詩篇15篇)

ダビデの賛歌
主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。神に捨てられた人を、その目はさげすみ、主を恐れる者を尊ぶ。損になっても、立てた誓いは変えない。金を貸しても利息を取らず、罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。このように行なう人は、決してゆるがされない。―― 詩篇15篇


 幼少のころから、僕はウソをつかないようにしてきました。それは別に、僕の倫理観が優れていたからではなくて、ウソをつくと結局、自分が不利な立場に立たされることを体験から学んでいたためです。つまらないウソをついて痛い目を見たことは、僕にとって良い経験でした。

 “ウソをつかない”ことの良いところは、どんな状況でも堂々としていられるということです。自分の中に後ろめたさがないというのは、真っ青な空のように、気持ちの良いものです。

 今日の聖書個所から、神さまの喜ばれる人とはどんな人なのかを学ぶことができます。“心の中の真実を語る”ことは、人間にとってとても大切な事だと思います。それは相手のためになり、自分のためになることです。ウソをつかない人は信頼されます。人に信頼されるというのは、それだけでとても素晴らしい長所です。

 現代は確かに、正直者が馬鹿を見る部分はあるかもしれません。でもそれはあくまで、この世の中での理(ことわり)です。神さまはすべてをご存知です。
 僕は馬鹿でもいいから正直でいたい。神さまの聖なる山に登るに足る者でありたいのです。

「斯ることどもを行ふものは永遠(とこしえ)にうごかさるゝことなかるべし」
―― 詩篇15篇5節(文語訳)



「もうふりむかない」 (曲は1分15秒から)


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